深谷商工会議所の歴史

設立の動機

戦後4年を経過した当時の商工会議所は戦時中から統制配給制度の大部分が既に廃止され、全廃の状勢にあり、他面産業、経済税務、労政等は特に重要度を増し、そのまま放置するときは、商工業経営上非常に困難をきたすおそれがあったので、深谷商工会と深谷工業倶楽部間で、商工会議所設立の機運が高まり、昭和24年秋頃より25年頭にかけて、両者間の会合がたびたび重ねられ結局深谷商工会と深谷工業倶楽部を発展的に解散し、当時の商工会長安部彦平、工業倶楽部会長矢野寛治の両氏が発起人総代に選ばれ「商工業界の世論を結集してその実現につとめ、緊密な連絡協力によって商工業者を保護育成し、総合的産業の健全なる進歩発展をはかり、もって地域経済発展と住民の福利繁栄に寄与する」ことを目的として商工会議所を設立することを決定した。

会員募集

設立にあたり地域をいかにするかが問題になったが、結局深谷町ほか10カ村は常に深谷町を中心として行政、経済、教育、治安等すべて不離密接な関係に結ばれているため、深谷町単独にて商工会議所を設立するよりは深谷町ほか10カ村(幡羅村、明戸村、新会村、中瀬村、大寄村、本郷村、岡部村、藤沢村、八基村)を地区とすることがその目的達成に欠くべからざるものとし、各関係村長の同意を得て、深谷町ほか10カ村を地区として、昭和25年4月4日設立趣意書を作成、会員の募集を行った。

設立総会

通産省並びに埼玉県の指導により設立のための諸般の準備を完了し、昭和25年7月20日午後2時、深谷小学校講堂において、旧商工会、旧工業倶楽部役員が設立発起人となり、会員並びに関係者多数出席のもとに各種議案共スムーズに可決、ここに社団法人深谷商工会議所が誕生し、初代会頭に中島半平氏、副会頭に矢野寛治氏、理事22名、監事2名が選任され、安部彦平氏は顧問に推載された。会員数585名。
翌21日より現深谷市大字西島旧深谷工業倶楽部事務所において、職員2名をもって業務を開始した。

設立の認可

設立総会終了後、直ちに必要関係書類を整備し、通商産業大臣宛認可申請中のところ、昭和25年12月22日、定款一部修正のうえ(通商産業省指令25企第4201号通商産業大臣横尾竜)設立認可された。

新商工会議所法の制定

昭和28年8月1日法律第143号で新商工会議所法が公布され、深谷商工会議所として現在に至る。

事務所の移転・その他

昭和25年事務所狭隘のため西島会館を借り受け事務所の移転を行った。 さらに昭和30年1月1日深谷町は市制を施行庁舎を移転したので、大字深谷345番地旧町役場を借受け、同月30日事務所を移転した。
深谷市においては産業あるいは各種文化団体集会の場として厚生会館建設の議が起り、商工会議所もこれに参画の要望があり、議員総会に諮り検討の結果、これに同調することに決定、会頭・副会頭・専務理事・事務局長が「深谷市立厚生会館等新築特別委員」に委嘱され建設に協力、直ちに資金の一部を会員の寄附に仰ぐことになった。その結果、会員ならびに関係者の絶大なるご協力により深谷市に金4,000余万円を寄附し、昭和41年10月30日厚生会館に事務所を移転、平成28年4月1日に深谷市産業会館の老朽化により深谷市保健センターに事務所を移転、現在に至る。

歴代会頭就任

昭和25年7月20日
初代会頭に中島半平氏が選任。
昭和28年8月24日
二代会頭に矢野寛治氏が選任。
昭和41年11月1日
三代会頭に花岡豊茂氏が選任。
昭和44年11月1日
四代会頭に関根銀造氏が選任。
昭和50年11月1日
五代会頭に古郡泰二氏が選任。
昭和52年9月26日
六代会頭に大谷多喜男氏が選任。
昭和62年11月1日
七代会頭に中島富夫氏が選任。
平成16年11月1日
八代会頭に下妻さとし氏が選任。
平成22年11月1日
九代会頭に古郡一成氏が選任。
平成25年11月1日
十代会頭に髙野一吉氏が選任。
平成30年3月22日
十一代会頭に村岡正巳氏が選任され、現在に至る。

組織変更

新商工会議所法による組織変更の認可。
新商工会議所法の施行により定款の変更、組織の強化をはかり、地域的経済総合団体としての性格を明確にするため、組織変更認可申請書を通商産業大臣に提出、昭和30年1月28日に認可された。
商工会の組織等に関する法律の公布に伴う定款の変更。
昭和35年5月20日法律第89号による標記法律の公布に伴い、当商工会議所の地区であった岡部村で、商工会を設立したいので地区を除外してもらいたい旨の申し出があったので議員総会にて除外することに決定、従って定款のうち地区と役員等の任期の変更を通商産業大臣に申請、同年12月13日認可された。
更に昭和40年に至り、豊里村からも同様の申し出があり、同年6月30日地区の除外の認可を受けた。

深谷商工会議所のあゆみ

昭和25年07月
深谷小学校講堂において、旧商工会、旧工業倶楽部役員・会員が出席して設立総会を開催、初代会頭に中島半平氏就任。
昭和25年07月
深谷市大字西島旧深谷工業倶楽部事務所において業務開始。
昭和25年08月
旧工業倶楽部事務所から西島会館へ事務所を移転。
昭和25年12月
通商産業大臣の設立認可「通産省指令25企第4201号通商産業大臣横尾竜」を受ける。
昭和28年10月
議員改選において、二代会頭に矢野寛治氏就任。
昭和31年06月
会報「深谷商工会議所報第1号」を創刊。
昭和36年01月
第1回優良従業員表彰式を実施。
昭和41年11月
議員改選において、三代会頭に花岡豊茂氏就任。
昭和42年12月
深谷市厚生会館が建設され、館内に事務所を移転。
昭和44年11月
議員改選において、四代会頭に関根銀造氏就任。
昭和44年12月
会員福利厚生制度として、生命共済制度事業を開始。
昭和50年11月
議員定数を50名から60名に決議。議員改選において、五代会頭に古郡泰二氏就任。
昭和52年04月
会報「商工深谷」が不定期刊行から定期刊行となる。
昭和52年10月
臨時議員総会において、六代会頭に大谷多喜男氏就任。
昭和62年10月
議員改選において、七代会頭に中島富夫氏就任。
平成02年01月
深谷商工会議所青年部設立。
平成02年10月
深谷市厚生会館を深谷市産業会館と呼称変更し、会館管理委託事業開始。
平成10年09月
ホームページ開設。
平成11年05月
議員定数を60名から80名に決議。
平成16年11月
議員改選において、八代会頭に下妻さとし氏就任。
平成22年11月
議員改選において、九代会頭に古郡一成氏就任。
平成25年11月
議員改選において、十代会頭に髙野一吉氏就任。
平成28年04月
深谷市産業会館から深谷市保健センターへ事務所を移転。
平成30年03月
臨時議員総会において、十一代会頭に村岡正巳氏就任。
令和03年04月
深谷市保健センターから旧深谷市教育庁舎に移転。商工会議所会館として業務開始。

問合せ先

総務課
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